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ルネ・マルタンは、経営管理学の高等教育を修めると同時に音楽(パーカッション、音楽史、記譜法、和声、電子音響音楽)を学び、ナント市に芸術研究制作センター(CREA)を創設した。1979年より同センターの芸術監督をつとめ、ナント市とロワール地方で毎年、室内楽と宗教音楽を中心としたプログラムを紹介している。1981年より、ラ・ロック・ダンテロンで国際ピアノ・フェスティバルを開催。世界最大のピアノ・フェスティバルに成長したこのラ・ロック・ダンテロンには、ラドゥ・ルプー、マルタ・アルゲリッチ、ミハエル・プレトニョフ、エフゲニー・キーシン、ネルソン・フレイレ、ニコライ・ルガンスキーなど、現代最高のアーティストたちが定期的に出演している。1988年、マルタンはスビャトスラフ・リヒテルよりトゥレーヌのメレ農場でのフェスティバルを任され、二人の間には強い協力関係が結ばれた。マルタンは100以上のコンサートをリヒテルとともに企画し、フェスティバルでも陣頭指揮をとっている。 モスクワのプーシキン博物館での「12月の夕べ」にも、マルタンのアイディアが生かされている。
マルタンは、1986年より、ラ・ボールにて「エルミタージュでの楽興の時」シリーズを開催。これは、リンゼイ四重奏団、イザイ弦楽四重奏団、アラ ン・ムニエ、レジ・パスキエ、ジャン=クロード・ペヌティエ、ロラン・ピドゥ、ジェラール・コセ、カプソン兄弟、ジャン=エフラム・バヴゼなど、現代が誇る室内楽奏者を集めての企画である。その2年後の88年、キリスト教修道院としては西欧でも最大規模のロワイヤル・ド・フォントヴロー修道院の芸術監督に就任。10のコンサートホールを有するこの修道院には、フィリップ・ヘレヴェッヘ、ウィリアム・クリスティ、ポール・ファン・ネヴェル、クリストフ・スペリング等の指揮による、素晴らしい宗教音楽のオーケストラを迎えている。
これらの仕事と並行して、マルタンは「ラベル・ナント」の名のもと海外にも活動の幅を広げ、日本、ブラジル、イギリスでのコンサートツアーを企画制作している。数々のフェスティバルでの経験を集約させた彼は、1995年、さらに大胆な試みを実現させた ― 従来のクラシック・コンサートのイメージを揺るがす画期的なイベント、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭である。これは、クラシックのレパートリーから選ばれた作曲家たちの真の魅力を、毎年230以上のコンサートを通して一般の聴衆に届けるものだ。2005年、ナントで第13回を迎えたラ・フォル・ジュルネ音楽祭には、171,000人の音楽ファンが集った。2000年以降開催されているリスボンでもその成功は拡大し、2006年には45,000人のポルトガル人がラ・フォル・ジュルネ音楽祭に集っている。ヨーロッパでの反響が高まるなか、これらの経験を生かして2002年3月以降はビルバオでも開催され、2006年には25,000人の聴衆が魅了された。
2005年より東京でのラ・フォル・ジュルネ音楽祭が開幕し、初年度にして30万人の入場者という、大盛況を収める。モーツァルトをテーマにした2年目には50万人の、国民楽派をテーマにした3年目には60万人の音楽ファンが東京国際フォーラムに集った。
また舞台装飾家でローマのメディチ荘のジェネラル・ディレクターであるリシャール・ペドゥッツィより、メディチ荘の音楽監督を任られる。またニームの劇場の運営をつかさどるジェローム・デシャンとマシャ・マケイエフより劇場の音楽顧問を任される。
2006年、ルネ・マルタンは1200以上のコンサートで芸術監督としての手腕をふるった。また2005年のラ・フォル・ジュルネの期間中にフランス文化コミュニケーション省からメリット勲章をルノー・ドヌデュー・ド・ヴァーブルの手により授章。2005年の3月にはポルトガルのジョルジュ・サンパイオ大統領より、外国人に贈る最も名誉ある勲章であるエンリケ王子勲章を受章。 |